2009年の10月のTBSの「久米宏のラジオなんですけど」に東京外国語大学の 荒川洋平先生が出ていました。先生は外国人に 日本語を教えているようです。そこで印象にのこったことは
1. 毎日2時間ぐらい集中して2花月ぐらいやれば日本語0の人も それなりに日常生活にはくろうしないレベルにはなれるといってました。 それで、教え方は、絵や地図などを指しながら 「海です」、「海です」と繰り返す、そうすると「これが海」っていうんだなと解るようになるということでした。 そして、今度は山を指しながら「山です」、「山です。」と同じように繰り返し、 続けて「海じゃないです」、「山です」と繰り返すという方法を繰り返すのだそうです。 そうすると、否定は後ろに「じゃないです」というのを付けるんだとわかってくるということでした。
確かに言われればまったくその通りだと思ったのだ。もちろん、他にもいろいろな手段で 教えるのだろうけれど、繰り返すと言うのは原始的なのかもしれないけれど、でも、繰り返すことによって、たぶん人間というのは、相手がなにを言おうとしているか解ってくるのではないだろうか。 子どもが言葉を覚えるのは、繰り返しの継続でしかないものね。
2. 日本の英語教育についてもおもしろいことをいっていた。 一言でいって、学校の時間割に問題があるのではということ。 例えば、月曜日の3時間目にちょっと英語をやって、こんどは水曜日の4時間目に英語をやって・・・。 これではまばらで前のことは忘れてしまうし意味がないということである。
ある程度できるようになったらそれでもよいのかもしれないけど、最初はやはり集中が大切だということのようだ。
ということで、日本では小学校が終わってから中学を10月ぐらいから始めるようにして、間の 6ヶ月間はみっちり英語の集中授業をやれば、日本人の英語は延びるといっていた。 基礎の基礎のようなことは、最初に集中したほうが良いということ。
私はろくに言葉はしゃべれんが、語学には興味はなくはないので、この先生の本でもちょっと読んでみようかといいう気分にはなった。
2011/01/22のラジオなんですけどでのオープニングで紹介された 富良野自然塾・倉本聰対談集 愚者の質問という本がおもしろそうだと思った。おもしろいというとちょっと違うのかも試練が。 いろいろな賢者(いろいろな分野のエクスパート)を読んで来て、愚者となった倉本聰がいろいろと質問する形式。
その中で紹介されたのが、日本は3000万トンも食糧を輸入しているがその内1000万トンは化工段階で棄てられ、もう1000万トンは家庭で棄てられている、ので 食べているのは1/3ということ。驚き!
あとはストック博士の赤ちゃんの育て方がいかにだめだったかというのが紹介されていた。 一度読んで見ようと思う。
2011/01/24 「茂木健一郎の話はむりあり脳に結びつけた漫談だ」というのは笑った。
2010/10/23
オープニングで関東平野は本当に平らだが、日本は山国で、関東は日本のごく一部であって、後はほとんど山だという話。関東に住んでいると
日本が山国であることを忘れてしまう。
秋の虫の話をしたのだが、一般に虫の音はイメージや直感などを司る右脳で聞くのだが、世界中で日本人とポリネシア人だけは左脳で聞くということ。 つのだただのぶの「日本人の脳」による。
左脳は計算や言語を司るので、日本人とポリネシア人だけは虫の声を聞き分けられるが、後の人たちはできないということ。 言語を司るので、分析やニュアンスの能力があるので聞き分けが可能だということ。
日本語の擬音語擬態語を「オノマトペ(フランス語が語源)」というのだが、おのまさひろ 室町時代では「馬はだくだく走る」とか奈良時代では「たにたにしい(くたくたに疲れた)」と 奈良時代でははなをすする音は「びしびし」と言った。 最近では「キャピキャピ」とか、「オッパッピ」もオノマトペ。
「ホニャララ」は久米さんが作った言葉らしいが、これもオノマトペ。
2011/02/6
門田和雄(ねじ博士)「とことん優しいねじの本」、「暮らしを支えるねじの秘密」斜面の原理(ねじを回しているときは小さな力で十分だが、締結部分では大きな力がかかる)。 日本にねじが入ってきたのは1543年ポルトガル人が種子島に持ってきた火縄銃に使われていたのが最初と言われている。やっきょうの出し入れのところに使われていた。 ねじの頭の窪みを正式には十字穴付き、マイナス形を釣り針形という。マイナス形は作りやすいのだが、締結が十字穴の方がよいので最近は十字穴が主流。 左回りのねじとして、扇風機の羽根、換気扇、トラックやバスの左車輪はやはり左回り、オートバイの右側のバックミラーは、左回り(障害物にぶつかった歳にハンドルを取られないようにゆるむ方向になっているから)。
2011/02/11 「どこかの新聞のコラムからなのだが、「忘れられない脳」という本を例にとって、現在社会のネットも全ての情報を 記憶したままになっているので、これも忘れられない脳ということ。 忘れることができないということは、ネット上に書かれた情報は全て削除されない限り永遠に残る。 人の噂も75日とかいうが、これではゴシップも、人の悪口も全て書き込まれたら最後永遠にその情報はネット上を浮遊する。
2010年
法科学鑑定研究所の桜井としひこさん、DNA鑑定の専門家。純粋に民間の企業である。 純粋に民間の企業である理由は他の方から金品などを貰ってしまうと、「そちらよりの鑑定ではないのか」ということになってしまうから。
一番多いのは一般のくらいあんとで、その他に企業、その他に警察関係、裁判所など。西新宿にあるらしい。
DNAの鑑定は4超7千億人に一人の割合で識別できるらしい。現在の地球上の総人口が63億なので、はるかにDNAの鑑定できる人数の方が多い。これは単純に4,50年とか遡ってもDNAの識別が可能だということ。それだけ人の数がいてもだいじょうぶだということ。
DNAというのは蛋白質なので、物質である、遺伝子と言うのは「情報」なので、物質ではないので、混乱しないように。
2015年までにはDNAから人のモンタージュができないかということが進められている。 人の顔というのは体の中で一番脂肪などが少なくて骨格に近いので、太っても痩せても基本的にはかおのイメージはくずれないので、かおというのは識別にはやくにたつ。
DNAの採取には一般には口の中のほほの内側から採取するのだが、事件であれば飲んだ空き缶からの皮膚片、よくやるのは指輪、腕時計、眼鏡からは確実に取れる。人と動物の大きな違いは毛があるかないかで、やはり毛がないぶんだけ皮膚片がはがれやすい。
個人の依頼は血族がおおく、企業からは例えば工場内のラインに血痕が混じったりしたときに、だれのものなのだろうかということ、関係者の物だった場合はラインをコントロールし直さなければならないということになる。血痕等がどこで入ったのかだけが分かれ場、つまり場所が特定できれば全てのラインを変更する必要はない。
DNAの判定の弱いところは、「高性能すぎる」ということ。 例えば、いま座っているテーブルに4人いたとして、そのテーブルから採取して検査をしたとする。でも高性能すぎてしまって、以前にそのテーブルを使っていた人の情報まで拾えてしまう。本当は現在座っている人4人分だけの情報がほしいのに、10人分もの情報が取れてしまうのだ。 そうなるとこのテーブルから採取した情報は薄い物になってしまう。高性能ということがウイークポイントになってしまうのだ。Aさんが昨日いたことを証明したいのだが、高性能すぎるので「実はそれは3週間前にいた情報が取れただけで昨日そこにいたということではないのでは」というつっこみが可能になってしまう。
メディアファクトリーから桜井さんの本「DNA鑑定、暗殺冤罪、浮気も暴くミクロの名探偵」
DNA鑑定の進んだところには、その人本人がいなくても鑑定ができる。つまりその人の家族や子孫のDNAがあればその人を特定できる。
現在のDNAの研究で人類は東アフリカの一人の女性から生まれてきたとされている。
2011/02/12ダンボールメーカーの連合の西川あつおさん、ダンボールはもともとイギリスのシルクハットの汗取り紙として使われていた。あのギザギザが 空気を通し、シルクハットがおでこなどにくっつくのを防止するため。 ダンボールがコンポ用に使われ始めたのはアメリカに行ってから。 ステープル、Aフルート(5mm)、Bフルート(3mm)Cフルート(4mm)、カニカニロック、